11月
18
チベット旅行記
河口慧海「チベット旅行記」を読む。
命がけの旅とはまさにこういうことを言うのだろう。
なんというか、現代のバックパッカーや冒険家を名乗る者が一様に真っ青になってしまうような旅をしている。そして大事なのは、その命がけの旅は単なるおまけであって、それが目的ではないことだ。
明治の日本のお坊さんがチベット密教を勉強しにチベットに行こうと企む。当時のチベットは鎖国していて入国が難しかった。河口はインドのカルカッタに1年以上滞在し、チベット語を勉強しながらチベット潜入の計画を練ったという。
本当の目的は、漢語に翻訳されていない原初の仏典。「西遊記」の三蔵法師がガンダーラ(インド)へ経典を探しに行ったように、当時の河口和尚もサンスクリット語やチベット語の仏典を渇望していたという。
それらを得るため、ひいては生の仏教に触れるためのチベット行きであって、生死を賭けた冒険譚は副産物なのだ。
明らかに出発の時から死を覚悟しているし、もちろんチベットに潜入してからも何度も命の危険にさらされ、死を覚悟する場面がよく出てくる。
そういった話を帰国後、人に請われてやっと淡々と話し始める。なぜなら河口和尚にとってそういった話は単なるおまけにすぎないからだ。明治の人間はすごい、と思わされる。