Posts in the Category: 旅の記憶
これは先月ジャイプールにいたときの話なんですが。
インド人の友人との連絡用に、インドでのプリペイド携帯がほしいと思っていました。アーメダバードからジャイプールに移動した際にホテルの近所にAIRTEL(インドのキャリアのひとつ)ショップを発見。「ケータイほしいんだけど!」と突撃しました。
インドではSIMカードとケータイ本体は別売りがふつう。まずAIRTELでSIMを手に入れ、その後好きな本体を買いなさいということでした。SIMカードを作るためにとても長い書類に記入。証明写真も必要ということでお隣の写真屋さんに行き撮影。日本のアドレス、インドのアドレス(ホテルの住所を使わせてもらいました)、パスポート番号から父親の名前まで記入し、AIRTELのセンターで承認待ちと相成りました。このときにSIMカードを渡してくれるのですが、これが110ルピー(約190円)。
その後ショップで本体を選ぼうとしたのですが、スマホばかりで意外と高い。インド滞在時限定のものなのでできるだけ安い方が良い、ということを店員さんに相談したところ、町の電気屋さんのようなケータイショップを紹介されました。そこで最安のものを買ったのが写真のもの。SAMSUNG製で1250ルピー(約2200円)。
そして翌日の午後にSIMが承認されるので、その夕方にセンターに電話して確認が済んだらもうふつうに使用できるとのこと。ほくほくとして帰り、翌日夕方にセンターに電話しようとするができない。「緊急電話しか使えません」とメッセージが出る。何度やっても同じなので、その日はあきらめました。次の日は一日遠出をしていて、たまにセンターにかけても昨日と同じ反応。なにか手違いがあったのでしょうか?
結局そのまた次の日にショップを訪れ、同じ店員に会い経緯を聞きました。どうやら申請時、パスポートをコピーした時にミスってパスポートの一部がはみだしてしまってたのが原因だということ。一瞬信じられないようなミスだったのですがここはインド、なにがあってもおかしくない。
もう一度コピーし直して、そしてもう一度長い書類を書き直して、もう一度申請し直して、そしてもう一度丸一日申請待ち、翌日センターに電話し、晴れて使えるようになったのでした。
合計金額はSIMが110に本体が1250の1360ルピー。2500円くらいでケータイが手に入りました。プリペイドなので100ルピー分使ったらまたチャージしなくてはなりませんが、1分40パイサ(100パイサ=1ルピー=17円)なのでけっこう長時間通話できます。
ちょっと便利になりました、という話でした。
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LEICA M6 in INDIA
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いやもう、、説明も何もないんですけど、この破壊力、なかなかだと思いませんか?
なんか泣けてくるのは僕だけでしょうか、、、?
場所はNEW MARKET北側の通りの露天です。毎日いるかどうかはわかりません。
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カルカッタに来てからはもっぱら地下鉄で移動しています。
地下鉄に乗って、今まで埋もれていた記憶、20年前の薄れていた記憶が突然蘇ってきました。
20年前、当時19才の僕は単身カルカッタに来ました。入学した大学で目標を見失い悶々とした毎日の中で、それならいっそのこと世界を放浪する旅にでようかと悩んでいた時期です。長い放浪の旅に出る前に、試しにいっちょどこかへ短期間行ってみようと考え、いろいろな場所のガイドブックを読み漁っていました。そのとき見つけた一文。
「もしあなたがカルカッタで自由な旅ができるなら、それはあなたが世界中を自由に旅することができるということだ」
それほどカルカッタは旅行者にとって大変なところだよ、という意味だったと思うのですが、若気の至りかその頃の僕は、よしそれならカルカッタに行ってみよう、と意気込んで人生初の海外ひとり旅の行き先をカルカッタに決めたのでした。
正直なところけっこうビビりながらカルカッタに到着、白タクで空港からボラれながらもなんとかバラナシやマドラスを廻り、2週間インドを堪能した後帰国の途についた、ところまではよかったのですが。
おそらく原因は意気込みすぎてあちこち忙しく廻りすぎたこと。2週間という期間のなかにここもあそこもと詰め込みすぎたこと。成田行きのエア・インディアの機内で突如具合が悪くなり、後部の3人席を占領してぶっ倒れてしまいました。帰ってきても腹痛と発熱、結局たまらなくなって4泊5日の入院、診断は細菌性の下痢ということでした。
そんなちょっと苦い記憶もあるカルカッタですが、当時(1994年)に訪れた時には地下鉄は延々と続けられている工事の真っ最中。70年代に始まった工事が94年にも終わっていないという。冬の間に掘って掘って掘り続けた穴が、雨期が来ると雨に流された土砂によって埋まってしまう。掘っては埋まり掘っては埋まりを繰り返して20年。まだまだカルカッタの地下鉄は完成しないんだよ、というのが当時インド人から聞いた冗談のような実話でした。
それが20年ぶりに来てみると地下鉄が完成している!
まだラインは南北の1本だけで、都市を網羅するにはこれからさらに20年とかかかってしまうのだろうけど、なんだか20年前に地下に潜って掘っていたインド人に、がんばったねと労いたい気持ちになってしまいます。雨ニモ負ケズひたすら掘り続けたあなたたちのおかげで今の生活があるのですよ、と何の関係もないくせに声をかけたくなってしまうのです。
そしてそれは同時に、当時ビクビクしながらカルカッタに来て、「自分が世界のことをなんにも知らない」という事実すらわかっていなかったあのときの自分に対して、将来の展望や見通しなんかさらさらなくって、自分が何になりたいのかすらわかっていなかったあのときの自分に対して、「そんなに背伸びして尖っていなくても、そのうちなるように、なりたいようになるから心配するな」と言ってあげたい気持ちと対になっています。
そんな封印された記憶のこもごも、カルカッタの地下鉄が鍵になって引き出しが開きました。
余談ですが、カルカッタの地下鉄構内で撮影は禁止されています。上のカットを撮った直後にしこたま怒られました。念のため。
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すでにカルカッタに来て一日半。それでもまだ自分がブッダガヤの空気を濃厚に纏っているような気がします。それが理由という訳でもないんですがブッダガヤ近郊のスジャータ村での写真です。
I already moved to Kolkata 1 and half day ago though, I feel myself wearing the thick air of …
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聖地ブッダガヤでは菩提樹を観に行って毎日が過ぎました。
あとは先日書いたビミョーなサーカス、それからブッダが乳粥を飲んで死の淵から元気を取り戻したスジャータ村。もともとは富豪の娘スジャータがブッダに乳粥を与えた村が現在ではスジャータ村となっています。
そして今度は4時間遅れの夜行列車に乗ってカルカッタへ。朝6時に到着する予定が10時着。宗教的聖地から一夜明け、降りたとたんのインド最大級カオス!
アーメダバードからここまで来ると、距離的にはだいたい北インドを横切ったことになります。カルカッタはもう隣国バングラデシュのすぐ近く。ウエストベンガルとバングラデシュは宗教がヒンドゥーとイスラムで分離したけれど、昔は同じ一つの国。文化的にも多くの共通点がある、お互い親戚のような存在らしいです。
A: Bodhgaya B: Kolkata
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