友人のファッションデザイナー田中了がプロデュースするショップ”Light in August“が代官山にオープンしました。
店内入り口近くに、2年前NYで行ったSATORU TANAKAとの共同写真展で発表した写真を展示しています。
そのときの写真展の様子はこちらから。
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これ、写真では伝わらないかもしれませんが大きいです。
170x150cmぐらいあります。
アナログ写真のプリントとしては最大級のこの写真、暗室で焼くのも持ち運びも全てがひと苦労で、大きな筒に入れ、肩に担いでNY行きの飛行機に乗ったときのことを今回走馬灯のように思い出しました。
今でも息苦しくなります。
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店内はこのような感じです。
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ラミレス(読売巨人軍)
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キビヤック、って聞いたことありますか?
たまたま読んだ本に出てきた単語なんですが、調べてみたらすごいです。
海鳥を何十匹と捕まえて、割いたアザラシの腹の中に詰める。それを地中に埋め、数ヶ月から数年放っておく。そうすると発酵食品になります。
食べる際には海鳥を取り出し、毛をむしり、肛門に口を当て、ドロドロに発酵した内蔵を、ズズーっと吸い上げる、そういうグリーンランドの食べ物らしいです。
ドロドロ、ズズーという、その味を想像してみただけで前頭葉のあたりが痺れてくるような気がして、久々に衝撃だったので、それをそのまま書いてみました。
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早朝テレビをつけると、熊谷の主婦のインタビュー。
「暑すぎるわよ!!もう限界よ!!」とかなりキレ気味で。
ホームで近くに立ったサラリーマンが歌うようにひとり言。
「夏バテだ、、夏バテだ、、。」
言いたくなる気持ちもわかる。来週は涼しいらしいです。
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以前ここに書いたLADY GAGAの写真、HDを整理して見つけました。
至近距離すぎてピント合わず、の図。
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縁あって、ウェブラジオで話をさせてもらいました。
喋りすぎて30分x3週です。
こちらから聞いてみてください。管香織さんという喋りのプロの、掌の上で操られているような、収録時の感想です。
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先日から心配していた松田が亡くなりました。
ついこのあいだ、伊良部の訃報に接したばかりで、
このような報せが続くのは悲しすぎます。ご冥福をお祈りします。
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巨人の内海選手を撮影しました。
幼い頃から確固としたアンチ巨人でしたが、
最近それがあやふやにぐらついてきています。
阪神ー巨人戦で、巨人を応援することなんてこれまでなかったことなのに。
内海選手があまりにも好青年だったせいで。
これから何に対してアンチになればいいのか
少しわからなくなっています。
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(5のつづき)
うとうとと眠くなる。
出発してからこのかたきっちり眠れていないので、昼間にも睡魔がやってくる。高度のせいで徐々に酸素が薄くなってきているのだろうか。少し、頭が痛い。
窓の外にはヤクの群れが緩慢な動きで草を食んでいる。チベット帽をかぶった少年が数人、投げ縄の練習をしているのが遠目に見えた。圧倒的な大自然の表面に、小さな点のようにへばりついている人間の暮らし、それが窓から徐々に見えてくるチベットだった。
もういちど、ゴルムドのあの男と出会ったときを思い出していた。僕がゴルムドに到着した夜、あの男は安ホテルの僕の部屋をノックした。少しだけ開けたドアの隙間からヌッと出てきた顔は、マンガのネズミ男にそっくりだった。これほどネズミ男に似ている顔が実際に存在することに驚いた。
ギョロッと両目を光らせて、ネズミ男が何やら話しだした。早口の中国語で内容は全くわからないのだが、シージャン、ラーサといった単語が所々に出て来たので、夜の街へ遊びに行こうというお誘いでないことはすぐに理解した。僕が中国語をちっとも理解しないので、もどかしそうに男は紙とペンをポケットから取り出し、西蔵、と書いてから僕の顔を指差した。
西蔵は中国語でチベットのことだ。お前はチベットに行くのか?とごく単純なことを質問していたのだ。シー、と答えると、ネズミ男は少し不敵な笑みを見せ、そのことで話がある、とばかりに身を乗り出した。もう喋って意思の疎通をはかることは諦めたとみえて、達筆でさらさらと紙になにやら書き込んだ。
突然、脇腹を小突かれて、ネズミ男の回想は中断された。揺れるバスの中、隣席の男が中国語で話しかけていた。やはり何を言っているのか理解できないが、この様子だとおそらく何度か話しかけ、僕に反応がないことに少々いら立っているようだった。脇腹が少し痛んだ。
僕は男と目を合わせたが、それ以上は何も反応を返さなかった。男が発した言葉は虚しく宙を漂っていた。僕に無視された格好になった男はさぞかし不愉快な気分だろうと想像したが、男はそれほど気にするふうでもなく、ちょっとだけ肩をすくめ、足下に置いた自分のカバンをゴソゴソと漁り始めた。
出発してから何度もこんなことを繰り返している。もちろん本心からのことではない。僕の方こそ、周りの乗客に話しかけ、ここはどこなのか?目的地まであとどのくらいなのか?検問はあといくつあるのか?訊きたいことは山ほどあるのだ。
だが今の僕は、そのうちのひとつも尋ねることはできなかった。それどころか、中国語が「わからない」ことを周囲に悟られてはいけなかった。それがネズミ男のもうひとつのルールだったからだ。
(つづく)
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(4のつづき)
僕はタイミングを計っていた。
車内には乗客達が戻り始め、外には運転手を含め4、5人が残っていた。最後のひとりが食事を終え店を出たとき、できるだけ目立たないようにしかし速やかに、僕はバスの外に出た。片手にほぼ空の瓶を持ち、そのまま一直線に店に向かい、食料品店のカウンターに並んでいるものを大急ぎで物色した。
残念ながらそこには充実した食事になり得るものは一切なく、ただただスナック菓子やガムやタバコが置いてあるだけの貧相なものだった。その中からビスケットというよりは乾パンに近いような包みを3つ手に取り、黙って中国元の札をカウンターの中のおやじに手渡した。傍らに置いてあるポットに入ったお湯を、僕のお茶の瓶に移す。これでまたしばらくお茶には困らないだろう。
そそくさと店を後にしてバスに向かうと、もう僕を除く全員が車内に収まって、僕が乗車するのを待っていた。
乗客達が温かい食事を取っているときにはバスから降りようともしないで、皆が出発する頃になっていそいそと乾パンだけ買いに行くような男を、やはり大半の人間は怪訝な表情で見守っていたようだ。それも今回が初めてではなく、出発以降、食事時には似たような行動を繰り返している。そろそろ周りの乗客の好奇心もかわせないほど大きなものになってきているのかもしれない。それでもバスの後方に位置する僕の座席に戻るまで、誰も僕に話しかけて来なかったのは幸いだった。もし話しかけられていたら、僕はそれを無視しなければならない。何も聞いていないかのように、無視しなければならないのだ。
バスはまた走り出し、揺れる車内で乾パンとお茶の朝食を素早く済ませた。乾パンは味がしなかった。車内は相変わらず暑かったが、コートは脱がなかった。窓から差し込む朝日がジリッと肌を焼いたような気がした。チベットの太陽だ、と思った。空が近いのだから、太陽だって近いんだ、と妙な理屈にひとり心の中で頷いた。
(つづく)
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