あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いします
みなさまにとって心から平和で穏やかな一年になりますように祈っております
世界中により多くの幸せな瞬間が生まれ
不当な暴力や戦争がなくなり
多くの苦しみ悩みが解決し
本当に大切なものと過剰な欲望を見分けることができますように
2013年元旦
本文を読む
本年もどうぞよろしくお願いします
みなさまにとって心から平和で穏やかな一年になりますように祈っております
世界中により多くの幸せな瞬間が生まれ
不当な暴力や戦争がなくなり
多くの苦しみ悩みが解決し
本当に大切なものと過剰な欲望を見分けることができますように
2013年元旦
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神の山・由布岳が見守る里 由布院にて
先日、内々の忘年会で寿司屋さんに行った。
カウンターに座った僕らの直後に入ってきた二人組、ひとりがドランクドラゴンの塚地そっくりのおっちゃん、もうひとりが金髪青い眼の白人イケメン青年。
僕の隣に二人座り、大将が「いらっしゃい!何にしましょう?」塚地似のおっちゃんに声をかける。
横から白人青年が、「大将!こいつあかんねん!日本語ひとこともしゃべられへんねん!」と流暢な大阪弁。
「とりあえずサバちょうだい!」って。。。お茶吹いた。
昔アフリカで仲良くなったデンマーク人に、”I can speak Japanese!”と言われたことがあった。
「え?ほんと?じゃあ日本語で話そうよ。」と言った直後に彼が自信満々で絶叫したのは「オニガシマ!」
なぜかそんな思い出が一瞬蘇った、そんな年の瀬。
ちなみに彼の「オニガシマ」は「オネガイシマス」のつもりだったらしい。
梅雨の厚い雲が一時切れて陽光が差し込む朝は、ベランダに出て貴重なものを味わうように光を浴びる。
こういうときに狭いながらもベランダがあるというのはありがたいもので、なければないで外を歩いてきたりすれば良いだけの話だが、朝の起き抜けに久しぶりに見た太陽を感じながらお茶を片手にぼんやりとする瞬間は、それに続く一日をちょっとだけ穏やかに彩ってくれるような気がする。
そう書いて思い出したが、インドのベランダというかバルコニーの充実度はとても心地よいものだった。インド全域のことなのかどうかはわからないが、ぼくがよく訪れるアーメダバードという街のアパートやマンションには、居住面積に比してかなり大きなスペースをバルコニーに割いているところが多かった。
一週間ほど泊めてもらった家庭では、2LDKの間取りに二部屋分ぐらいのバルコニーが付いていた。高級マンションではなく、あくまで庶民的なアパートの話だ。
インド人は朝寝坊がふつうなので、目覚めるのはたいていぼくが一番早い。朝起きるとそのままバルコニーに直行し、水を飲みながら眼下の通りを牛やサルが通り過ぎるのをぼ〜っと眺めていた。2Dで移動する牛と違いサルは縦横無尽に3D移動するので、キッという短い鳴き声に振り向くとぼくのすぐ後ろにサルがちょこんと座っていたこともあった。
このインド式バルコニーにはたいてい「ジュラ(JHULA)」と呼ばれるこれまたインド式のブランコが付いている。いや正確には「付いている」どころかバルコニーの中央に、堂々と鎮座していたりする。繰り返しになるが、あくまで庶民的なアパートでの話だ。
ジュラはたいてい天井から太い鉄鎖でぶらさがっていて、座面は3人ぐらいが余裕で坐れるような長いベンチであったり、それが高級マンションだと巨大なソファがそのままつり下げられてゆらゆら揺れていたりした。
一番に起きたぼくがサルや牛を眺めながらゆっくり過ごしていると、次に起きてくるのはだいたいおばあちゃんで、「飲みなさい」といって熱々の濃厚なチャイを差し出してくれた。
これが例外なくうまい。
世界中のどこにいても、身体が求めている食物を求めているタイミングで口にすることができる瞬間は、なにか「うまい」という味覚を越えた、身体が喜ぶような快感を感じることがあるのだけれど、おばあちゃんのいれてくれた毎朝のチャイには例外なくそれを感じた。
インドの気候でインドで作ったチャイが、インドにいるぼくの身体に喜びをもたらすというのは考えてみれば道理な話で、こういう感覚を理屈っぽくしていくともしかしたらマクロビとかに繋がってくのかもしれない。あ、マクロビのこと全然知らないんだけども。
「ジュラ」に話を戻すと、おばあちゃんはぼくがチャイを飲むのを見届けると、一度キッチンに戻り、自分のチャイを持って来てジュラに坐る。ゆらゆらかすかに揺れているベンチの端に坐り、真ん中あたりにチャイのコップを置く。
おばあちゃんが話すグジャラート語をぼくは理解できなくて、ぼくが話す英語をおばあちゃんは理解できない。だから、とても静かで、でもあたたかい感覚だけがバルコニーに流れる。
たとえばぼくがサルに注意を奪われて、しばらく目を離した間なんかに、おばあちゃんは目を閉じあぐらをかき、ちょうど坐禅をしているような体勢でジュラにゆっくり微かに揺られているときがある。
その感覚をぼくは言葉で説明できないけれど、いつもそういうおばあちゃんを目にするたびに、「とても良い」と思う。特別神々しいわけでもないし、光り輝いてるわけでもなくいつものおばあちゃんなのだけれど、なにか「良いな〜」と思わせてくれるものがある。
10分、20分と瞑想を続けた後、目を開けたおばあちゃんがいちど話してくれた。
「これは、ヨガだよ」
あんたも毎日やりなさい、心と身体に良いから、とおばあちゃんは言ったのだが、そのときぼくにとっての拙いヨガのイメージは、「イヌのポーズ」とか「ワシのポーズ」(そんなのあったよね?)などのもっと動きのあるものだったので、おばあちゃんの言葉には意外な響きがあった。
ヨガはこんなポーズとかするんじゃないの?いくつか実際にポーズを取りながら訊ねたぼくに、少し嬉しそうな笑顔でおばあちゃんは言った。
「それもヨガだけど、ヨガは呼吸。呼吸がヨガ。あんたもおぼえて日本帰ってもやりなさい。」
ぼくにはおばあちゃんのしていることは坐禅のように見えたけど、そういえば仏教だって坐禅や瞑想だってインドから中国経由で日本に入って来たものだ。
それがヨガなのか坐禅なのか、そんなジャンル分けはきっと意味のないことなのだろう。こんなこと書くと識者には怒られるのかもしれないが、表に現われる名前や形が違うだけで、根本的にはおんなじようなものなんだろう。
あとはやるかやらないか。
「ナマステー、チャイはいってる?」
友人プラカーシュのまだ眠そうなダミ声で、この静かなおばあちゃんとのひとときは終わりを告げ、ザッツ・インディア!な騒々しい一日がまた始まる。
第2弾
インド人の友人、バーラトの新居の落成儀式(VASTU PUJAN)の一幕です。
儀式自体は一週間ぶっつづけで行われるのですが、これは3日目の祈りと踊りの日でした。
縁者眷属の女性が祭壇の前に集まり、祈りの歌を捧げます。
ハードディスクの中で久しぶりに見つけて、どんよりした梅雨空に重くなった心が完全なるV字回復です。
恐るべしインディア。
御歳82才のドキュメンタリー監督、フレデリック・ワイズマンが来日した際に撮影する機会に恵まれました。1930年生まれ!
年齢と経験を重ねた人物と向き合うのはいつでも非常に楽しいもので、深く刻まれた顔の皺ひとつひとつに、いくつもの時代を生き抜いて来た強さを感じます。
82才にして未だ現役、その事実そのものが大きな事を語っていますね。
撮影した写真をワイズマン監督に見せると予想以上に喜んでくれました。こちらとしても素直にうれしい。後日、配給会社の方を通じて監督からこんなお礼状が届きました。
やられた、、、。このおじいちゃん好きだな。
映画「クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち」が6月末から公開です。
Fortunately I had a chance to take photo of A documentary film director Frederick Wiseman while he stayed in Japan. …
本文を読む前回書いた写真の整理と同時に、人生5度目となる暗室を作りました。
作れば作るほど暗室作りは上手くなってきていると思うのですが、悲しいかな近い将来確実に失われていくであろう技術ですよね。
そしてこの失われていくということはロマンチックでもノスタルジックでもなく、単に必要とするひとが減ってきているから、というところに少し寂しさを感じます。
おそらく暗室を作るのもこれで最後になるような気もします。
この正月休みに、今まで撮影してきた写真を大々的に整理しました。
ウェブサイトを根本から作り替える際に、過去のフィルムを一斉にデジタル化する必要に迫られたのです。
カメラを持ったばかりの頃のフィルムから最近までの写真が全て順不同に詰まった箱をひっくり返して、写真の海の中を泳いでいるような1週間を、年始早々過ごしていました。
昨年引っ越しをした際にも感じたことですが、長らく放置していたものを整理することは実際にやってみると想像以上にエネルギーを必要とするもので、まずどこから手をつけようかと考えるだけでも頭からケムリが出てきそうな状況でした。
それでも過去の写真を遡って一気に目を通す、というのは非常におもしろい経験で、一枚の写真を目にしたことがきっかけで、心の奥底に沈殿していたような記憶が次々に蘇る、ということが連続して起こります。
すべての写真はドキュメンタリーだ、という言葉がありますね。
写真というものは、その人間がその瞬間目の前にしていた光景の記録であり、同時に写真に写っていない、フレームの外側の記憶でもあります。
このフレームの外側の記憶というのはなかなか言語化して伝えるにむずかしい部分ではあると思うのですが、撮ってる本人にとっては意外と大事な部分だったりします。
あ、このときこんなこと考えていたんだよなとか、この写真撮ってる自分のうしろでは大勢の人が集まって見物してたな、とか、とうの昔に過ぎ去ってしまってふだんは意識の上に上がってくることのないこの種の記憶が、一枚の写真を見ることで続々とわき上がってきます。
そういった記憶や、もしくはそれにひと続きで繋がっているそのとき持った気持ち、感情なんかは、写真を見る側の人にとってはまったくとらえどころのない部分だったりするのでしょうが、それが伝わらないわけでは決してなく、実はそういった説明不可能な記憶や感情を、説明不可能なまま写真から受け取ってたりもします。
そしてそういった説明不可能なものは言語化できない、もしくは非常にしにくいので、それでも人が説明しようとすると、「なんとなく」みたいな言葉になるわけです。
「きれいなんだけど、なんとなく怖い」「よくわかんない。でもなんとなく好き」
写真を見た人がよく口にするそんな言葉の、なんとなく以降は、言語化できないものを受け取った証と、ぼくは受け止めています。
そして人の心の奥深くに爪痕を残して行くような写真というのは、どんな衝撃スクープや超絶技法のライティングなどよりも、こういった「説明できないよくわからないもの」がはるかに雄弁に語っているものだったりします。
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