最近はヒマさえあれば暗室に籠るような生活を送っている。
インドから持ち帰ったネガを一枚一枚プリントしているのだが、これがいつまで経っても終わらない。
まだ何をどう組み立てるのか、今後どういった写真が撮れるのか、茫漠とした輪郭が見えてきたような段階なので、敢えて絞り込まずに少しでも気になったカットをひとつひとつ焼いているからだ。
霧の中を歩くような終わりのない作業なのだが、これが実はかなり楽しい。
当たり前だが、撮影中は時間が流れている。
撮影中でなくとも、人間は誰もが等しく流れる時間の中でその生活を送っている。
愛すべき人間に出会い、愛すべき瞬間を送ってもそれは時間とともに過ぎ去り変化し、自分の中の奥底に沈殿していく。そこに写真が無かったら。
写真はその、変化し沈殿していくはずの、愛すべき瞬間を、冷凍保存のように凝固して、再び僕に経験させてくれる。
東京の自宅の暗室に籠りながら、僕はカロールをもう一度経験している。
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先週は中国へ行っていた。
訪問先はチベット文化圏の九寨溝(キュウサイコウ)だ。
九寨溝がチベット文化圏だということは知っていたのだが、思っていた以上にラサに近いというということを、現地で地図を見て恥ずかしながら初めて知った。
奇しくもちょうど15年前行ったラサへの旅の話をこのブログで書いている最中で、成都から2時間遅れの飛行機が九寨溝に着陸したときには、かつて訪れた記憶の中だけの場所にいつの間にか舞い戻ってしまったような、妙な因縁を感じる不思議な感覚がした。
九寨溝は段が連なった真っ青な湖が有名な観光地だが、それよりも今回の訪問で目を開かれる思いをしたのは、チベット民族は芸能の民だという事実を目の当たりにした瞬間だった。
男の踊りは激しく力強い。女の歌声は柔らかく力強い。
その独特な踊りと歌は、直にこちらの心臓に響いてくるような鮮烈さがあった。
チベット人というのは元来とても温厚で、ほのぼのとした印象を僕も以前のラサへの旅から持っていた。
それはそれで間違いではないのだけれど、それとはまた別の、彼らがその温厚さの内に秘めた遊牧民族の激しさを、少しだけ垣間見たような気がした。
一緒になって踊っていると10分ほどで汗が噴き出してきた。
こっちへ来て飲もう、とあるグループが誘ってくれたので飲み始めると、次から次へと乾杯の声がかかる。
返杯である。
乾杯、と言われたら飲み干すのがこっちのルールで、乾杯、飲む、乾杯、飲むを繰り返しているうちにベロンベロンに酔っぱらってしまった。
どうやらかなり酒に強いグループに入ってしまったようだ。
そうしているうちに何か歌ってくれ、と言うので美空ひばりの「川の流れのように」を歌った。
歌っている最中に自分がこの歌のサビの部分しか知らないことに気づき、延々とサビを繰り返すという情けない事態になってしまった。
それでも彼らは喜んでくれたように見えたので、なんとなく良しとしたのだが、もう一度九寨溝を訪れることができるならその前にカラオケで練習しておこうと密かに思っている。
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僕の家の近所には、寅さんが産湯を使った帝釈天がある。
初詣にはよほどの事情がない限りここに行くことにしているのだが、インドに何度も行っているうちに、帝釈天は元々インドの神様だったということを知った。
インドラという、初期ヒンズー教ではそれはそれは偉い神様なのだそうだ。
雷の神様でもある。
他にもそんなパターンがあるのかも、なんて調べてみると芋づる式にぞろぞろ出てくる。
だいたい○○天という名前がついている神の発祥はインドと考えても良いぐらいだ。
ラクシュミーという手から金貨を出しているありがたい神様は日本に渡って吉祥天になった。
琵琶のような楽器を弾いているサラスヴァティーは弁財天に、スカンダというシヴァの息子は韋駄天になって日本のあちこちに祀られている。
シヴァだって大黒天に姿を変えて七福神のひとりになった。シヴァの別名であるマハーカーラ(マハー=大きい、カーラ=黒)からそうなったのだ。
* * *
お寺でちょっとお参りするとか、お正月に家族そろって初詣なんていうときに、日本人は知ってか知らずか日本化したヒンズーの神様を拝んでいることになる。
日本の歴史の中で仏教が日本人の生活様式や精神性に大きな影響を与えてきて、そしてその仏教はヒンズー教の前身であるバラモン教を母体にして生まれてきたのだから、実はこれは当然と言えば当然のことなのだ。
今でも七福神巡りをしたり護摩を焚く日本人のことを「隠れヒンズー教徒」と呼ぶ人もいるぐらいだ。
* * *
そういえばもうひとりヤマというヒンズー教の神。
死や時間を司る恐ろしいこの神は、日本に入って閻魔大王になった。ヤマ=閻魔である。
そしてそれが後々ドラゴンボールで悟空の世話を焼くエンマ様になって日本の子供たちを毎週ワクワクさせて、それが世界に輸出されて世界中の子供たちをワクワクさせているのだから、世界は不思議な縁でつながっているのだ。
そもそも西遊記が中国のお坊さんがガンダーラ(古代インド)へ経典を探しに旅に出るという話なのだから、それをベースに描かれたドラゴンボールが、実はインド発祥だったと言ってもそれは決して言い過ぎでもなんでもないのである。
と、一瞬だけ思ったのだが、やっぱりそれは言い過ぎか。
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2週間、再びインドに行っていた。
一昨年から、アーメダバードという中都市からさらに車で一時間ほど走った、カロールという名の村を訪れている。
インドに来る時はいつもここに来て、ラオさんという一家の家にお世話になっている。
詳しい話は別の機会にするとして、滞在中のある日、一家のお母さんに「日本の大統領は誰?」と聞かれた。
「日本に大統領はいないけど、首相はカンという人だよ。」と答えると、意外にも「日本の首相はイスラム教徒なの?」という質問が返ってきた。
カンという名前がイスラムに多いカーンという姓だと思ったようだ。
瞬間、僕の想像の翼は飛躍して、諸大臣を引き連れて首相公邸の階段の先頭に立つキラー・カーンをイメージしてしまった。
周囲が燕尾服で固めている中心で、ハゲ頭に赤いモンゴル帽をのせているキラー・カーン。
万が一、実現するようなことがあったら、停滞した日本の政治を劇的に変えることができるのだろうか?
良くも悪くも相当パンチの効いた首相になることは間違いない。
どうでもいいことなんだけど。
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(1のつづき)
座席は隙間なく乗客で埋まっていた。
チベットに向かうバスにも関わらず、チベット人は乗っていないようだ。見渡したところ僕を除く全ての乗客が中国人のようだった。エンジン音だけが響き渡る無言の車内で、僕はまた浅い眠りに落ちていった。
どのぐらい眠っていたのだろうか、不規則なエンジンを吹かす音で目が覚めた。バスは停まっていて、さっきまでいたはずの乗客たちが車内から消えていた。運転手はハンドルを握り、アクセルを踏み込んでいる。エンジン音にタイヤが空回りする音が混ざる。
前方の開いているドアから外に出る。汗ばんだ肌が冷たい外気に晒されて急に冷めてくる。乗客たちはバスの後方に集まりひとつの固まりのようになっていた。どうやらタイヤを砂に取られスタックしてしまったようだ。バスの窓から漏れるぼんやりとした光を頼りに僕もその固まりに加わった。タイミングを合わせて力を入れる。20回ほど繰り返して、やっとバスは砂を蹴って動き出した。
乗客たちは無言でバスに戻る。旅が始まってまだ1日も過ぎていないうちに、誰もが疲れていた。僕も座席に戻り、堅いシートに身体を預けた。そしてまたバスは不規則に揺れ始めた。
外に出て冷えきった体がすぐにまた熱を帯びて来る。足下から熱気が上がって来ているのだ。座席に座った僕の両足の間を、銀色の鉄パイプが這っていて、出発してからずっとこれが熱気を放っていた。どうやらこの鉄パイプが車内の暖房の役割を担っているようだ。鉄パイプはおそらくエンジンのどこかに直結していて、その熱をぐるりとバス全体に拡散する仕組みになっているのだろう。
この暖房が、出発してからこのかた、暑すぎるのだ。
ゴルムドを出て早々、周りの乗客はコートを脱ぎシャツの腕をまくった。僕もそうしたかったし、そうすべきだったのだが、出来ない理由があった。
ゴルムドのあの男と僕だけしか知らないルールがあったのだ。あいつが大真面目に僕に課した厳格なルール。そのひとつが、「コートを脱いではいけない」だった。
出発前夜、どこをどう歩いたのか皆目見当もつかないような路地の奥。裸電球がぼんやりと照らす露天の古着屋にあの男は僕を連れて行った。
あっさりと「これを買え」とあいつが選んだものは、あちこちシミの付いてすり切れた中国人民軍のカーキ色のコートだった。300円ほどの古着を言われた通りに買いそのまま着てみると、その外見とは裏腹に造りは大層頑丈で分厚いものとわかった。軍用品だ、と実感したが、コート全体から発するかび臭さには閉口した。
僕は忠実に男とのルールを守り、そのコートを一度も脱いでいない。半日経った頃には身体から饐えた匂いが漂い始めていた。
(つづく)
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実は意外と料理するのが好きだ。
最初は一人暮らしの必要に迫られてやっているうちに、次第に面白くなっていろいろ作るようになった。
生活の中での料理なので、カッコいい凝った料理には全く縁がなく、普通のおいしい料理を、安く手際良く作れることが理想形だ。
台所には料理本が十数冊並んでいるが、そちらも内容は普段のおかずだったり節約系のものが多い。
なので変哲のないありふれた料理を、パッと手際良く、それでいて感動するぐらいおいしく作れる人を見ると無条件で尊敬してしまう。そしていつか同じようになりたいと思う。
そしてそれ以上に尊敬の念を持ってしまうのは、冷蔵庫の余り物で奇想天外な、でももちろんおいしい料理をこしらえてしまうような人だ。ノープランと思いつきを武器に食材と戦う姿は、楽譜なしであえて即興の世界に飛び込むフリージャズ奏者の姿に通じるものがある、と勝手に思う。
そんなようなことを、一人で食べた晩ご飯の合間に考えていた。
冷蔵庫の余り物、マイタケとハムを炒めて片栗粉でとろみをつけ、卵でとじたなんとも言いづらい食べ物。曲になる前に瓦解したバンドのどこまでも微妙な音色、そんな感じの味がした。
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