Posts Tagged with: インド
インド人は自分の家屋に名前を付けて住むことが多いそうで、クルッティ・ラオ一家の家(中央)は「ラメーシュト」と命名されています。これは猿の姿をした神様「ハヌマーン」の別名だそう。上が現在の「ラメーシュト」。下はクルッティの結婚式の夜のラメーシュト。どちらも建設中の同じビルの屋上から撮影したもの。そして下が2011年末のラメーシュト。「バストゥ・プジャン」という落成の儀式にお呼ばれして行きました。家の周囲にはまだ何もなく、家も9割まで完成した時点のもの。庭にはまだ芝も植えられておらず。
こんな記事も読まれています
クルッティ・ラオの結婚式 5日目 その2 | The …
本文を読む
ニヤムギリの丘に行く途中、オリッサ州の田舎ではバレーボール ボンベイの街角クリケット。 グジャラート州カロール。雨期になると巨大な貯水池になるクリケット場で。
こんな記事も読まれています
LEICA M6 in INDIA
インドのケータイ買ってみた | …
本文を読む
5日目とかその2とか、だんだんややこしくなってしまって恐縮ですが “クルッティ・ラオの結婚式 5日目 | The Wedding of Kruti Day 5” …
本文を読む
この日がある意味本当の「結婚式」。これまでのものは全てここに来るための前哨戦でした。クルッティの自宅から1kmほど離れたある邸宅で新郎のための儀式が行われます。
バラモンの細かい指導により新郎ミラージの儀式が進みます。この後クルッティの待つ場所へ、花嫁を迎えに行くのです。
その頃、自宅で待つクルッティ。クルッティの自宅の隣に作られた、いわゆる「披露宴会場」。左手奥に光るのが自宅です。8000人が近隣からやってきました。8000人と言えば “ニヤムギリの丘 | Niyamgiri Hills” で書いたドングリア・コンド族の人口と変わらないんですが。。パレードとともに会場入りする新郎ミラージ。ひとりだけ頭が高いのは馬に乗っているから。担がれて会場に入ります。まずは披露宴(レセプション)です。ゴンドラに乗ってお披露目!クルッティ、ミラージ、それから親族がステージ上にあがります。来賓との記念撮影が延々と続くのです。
そして自宅の庭に拵えた結婚式場での「誓いの儀式」に移るのですが、書ききれないので次回に続きます。
こんな記事も読まれています
クルッティ・ラオの結婚式 1日目 | The …
本文を読む
どんどん派手になって行く結婚式。この日はロックフェスばりにステージが組まれ、歌と踊りに明け暮れる夜です。まずはムンバイから呼ばれたダンサーたちのショー。そして弟ダムルーとその友達のダンスパフォーマンス。新郎の妹とその友達のパフォーマンスもあります。両親に向けたビデオメッセージなんかも。新郎新婦の入場。新郎はミラージ。歌曲一切を取り仕切るのはこの人、ムンバイから来たロドニー。
“ボリウッド映画を地でいく国 | 歌と踊りのインド” で書いた売れっ子結婚式シンガーとは彼のこと。そして始まる歌と踊り。左:新郎父 右:新婦父後ろに変な人写っていますが、、、。
ロドニーに「あの歌やって!」と途切れることなくリクエストし続け、踊り続け大合唱し続けの一夜でした。
グジャラート州はドライ・カントリーと呼ばれインド唯一の禁酒州。おおっぴらにお酒売っている店は一軒もありません。この夜も誰ひとりとしてお酒を飲んでいる人はいないはずですが、朝方までこの狂乱は続きました。
こんな記事も読まれています
クルッティ・ラオの結婚式 1日目 | The …
本文を読む
クルッティの結婚式2日目。この日は女性陣がメンディ(ヘンナ)の装飾を施す日。会場は自宅でした。
昼間にはインド占星術の催しなどをがあり、夜には本格的にメンディ大会が始まります。
仕上がりの方はこちら” ヘンナで飾られたインドの花嫁 | グジャラート州カロール“から。
メンディを受けながら、当然のように歌と踊りが始まります。上はお母さんのプラティマ。下はクルッティと弟のダムルー。
こんな記事も読まれています
クルッティ・ラオの結婚式 1日目 | …
本文を読む
インドは今日1月26日がリパブリック・デイ(共和国記念日=建国記念日)。
僕はアーメダバードの友人の家でテレビで見ましたが、デリーでは盛大なパレードが毎年の恒例。パレードの前後には一同起立して敬礼です。安倍晋三首相一家も来印していました。途中居眠りしていたのをテレビに抜かれていたんですが、気のせいか?ミリタリーの行進の中には、砂漠を守るラジャスタン州兵のラクダパレードもありました。
こんな記事も読まれています
LEICA M6 in INDIA
インドのケータイ買ってみた | …
本文を読む