僕がインドに行ったわけ 3
この文章は「僕がインドに行ったわけ 2」のつづきです。話の最初に戻るには「僕がインドに行ったわけ 0」から。
到着するとバーラットはすぐさま僕を、建設現場の隅に建てられた小屋の中へ連れて行った。
「これが完成予想図だ」
ニコニコしてバーラットが指差した先には、壁に数枚の絵が貼られている。そのどれもが数年後のこの場所に建っているであろう家のイメージを表していた。
この様式はなんと呼ぶのだろう?モダン・インディア?少なくとも伝統的なインドの建築様式ではないだろう。きっと、この現代にインドで良しとされているデザインなのだろう。
いや、僕はその建築的価値を批評しようなんて気は全くない。日本から来た外人としては、典型的な「インドらしさ」を心の内で求めてしまうことは完全に否定はできないが、そんなものは無責任な外人の押し付けでしかない。
平たく正直に言うと、僕はその姿をとてもへんちくりんに感じた。へんちくりんに感じて、クスッと笑い、とてもおもしろいと思った。
その地域的伝統からかけ離れたその姿や、ホワイトベースのように角ばって複雑で、そしておそらく敷地外の周囲の地域に「馴染む」ことをさらさら考えていないその孤高の姿。
ただしそれは数年後の、少なくとも2年後のこの場所の来たるべき姿。今はまだ基礎ができて一部の壁がちょっと建っただけのスタート地点だ。
1軒の家をインド人がどのような建て方をしているのか見てみたくて、バーラットに頼んでしばらくその場に放置してもらうことにした。
現場には男女7、8人の人々が働いている。重機や機械の類いは周辺には見当たらない。
僕のそばを青いサリーを着た女性がゆっくり歩き、レンガを頭に載せ運んでいる。どうやら徹底した手作業でここまで建てたらしいのだ。
インド社会は、カースト制という人々を生まれながらに区分する身分制度が浸透しているというのは周知の事実であるが、上下の身分制度の他に、職能によって区切られる横の身分制度もカーストに含まれることはそれほど知られていない。
どういうことかというと、ある村のある地域に住んでいる村人全員が、一つの職業に従事しているといったことがよくある。鍛冶屋の村は全員鍛冶屋、農家の村は全員農家といった案配だ。以前紹介した、絵描きばかりが住む村もカースト制度によるものだ。
バーラット家のこの建築現場でも、働いているのはある村に住む一家。こういった手作業での家を建てるいわゆる大工さんを代々家業にしている村があり、そこから一家族がこの現場に来て働いているという。
おりしも季節は雨の全く降らない乾期。未だに屋根ができていないこの現場で、大工一家はこの現場に住んでいる。昼は手作業での建設仕事、そして夕方になると現場の片隅で火を焚き、壺でご飯を炊く。寝るのもそのままこの現場で、空の下布団にくるまって寝るという。
3ヶ月、4ヶ月と必要なだけこの現場での仕事をして、家の完成もしくは雨季の到来になると自分たちの村に帰っていくという。そしてまた別の現場があれば出かけて行って家を建てる。
ちなみに人ひとりあたりの日給はわずか200円ほどなんだそうだ。人件費が極端に安いことが、重機を使わない理由なんだそうだ。
(つづく)