アムステルダム
20年ぶりにヨーロッパに上陸しました。
写真はアムステルダムに降りる空の上から。
ここで飛行機を乗り換えて、地中海に浮かぶイビザ島に向かいます。
20年ぶりにヨーロッパに上陸しました。
写真はアムステルダムに降りる空の上から。
ここで飛行機を乗り換えて、地中海に浮かぶイビザ島に向かいます。
オーストラリアのノーザン・テリトリー(北部特別区と訳されるらしい)での体験をまとめる毎日を過ごしています。
これがなかなか混沌として、我ながら何が出てくるか未だにわからず面白いのです。まだまとめ始めたばかりですので、もう少し時間が必要なようです。
今回は文章も書いてます。こちらが写真よりもさらに混沌としています。正確に言えば、「混沌を混沌のまま伝えられる写真という媒体」と、「ヒトに伝えるためには相当な整理整頓を前提としている文章という媒体」の違いといった感じです。
嗚呼、目鼻立ちがつき始めるのはいつなのか、、、?
ポスターの撮影を担当したTHE GEESEの公演が、明日30日から開演します。
新宿にて19時から!
オーストラリアの中心部に行っていました。
ノーザン・テリトリー(北部特別地域)の、レッド・センターと呼ばれる赤い荒野。その中心部にはウルル(エアーズ・ロック)があります。
オーストラリアの先住民であるアボリジニの祭りが年に一度ここで開催されており、アボリジニの持つ太古から続く文化に触れることが今回の目的でした。
媒体での発表がされるまで写真も文章もあんまりここでは出せないので、今のところはかなり控えめですが、少しずつ見たこと感じたことを書いていきたいと思います。
それにしても広かった〜。
南極の氷の中に100年の間、忘れ去られていたフィルムが発見された。
実はもう一年以上前のニュースなんだが、ずっと気になっている。
僕にとっては世紀の大発見レベルなのは間違いないが、もっと大ニュースとして世の中に浸透していくのかと思っていたらちっともさっぱり聞こえて来ない。
やっぱり僕の興味の対象は、世の中のそれと少しずれてるんだろうと再認識するきっかけにはなったのだが。
このニュース、この写真はスルーするにはもったいないと思うほど興味深い。
ソースは全てANTARCTIC HERITAGE TRUSTから。
告知、紹介をしていなかった仕事のこと。
「伊東豊雄 子ども建築塾」
世界的な建築家である伊東豊雄先生は、東日本大震災の後、建築に興味のある子ども達に「建築」を教え、共に考えるために「伊東豊雄 子ども建築塾」を恵比寿の住宅地に作った。
そこでは好奇心おう盛な子どもたちが遊ぶように建築についての思考を吸収していく様や、むしろ子どもから新鮮な視点を提示されて想像力を大きく刺激される大人たちがいて、とてもワクワクするような場所になっている。
閑静な住宅街の一角でそういったことが起きているということがまたおもしろいなと思うわけです。
中ページの写真を撮影してます。デザイナーは「Rao’s Newsstand」でも腕を振るってくれた坂本陽一。LIXIL出版より。
posted with amazlet at 15.11.17
伊東豊雄 村松伸 太田浩史 …
本文を読む原理主義というのはおそらくどんな宗教にも存在するのだろう。
教典や聖典、成立当時の教えに対して盲目的と言えるほど忠実に生きるべき、それこそが宗教としての正解だと主張して譲らない原理主義は、現代の日本人の感覚からすると最も理解が難しい存在かもしれない。
そういった考え方はイスラム教に限らず、キリスト教にも仏教にも、おそらくヒンドゥ教にも存在する。
どんな宗教にも、長い時代を経たものには多くの分派や宗派が産まれて、考え方や教義も変化するのだろうから、「変化しないこと」「余計な解釈をしないこと」を信条にする派が存在しても不思議ではない。
原理主義が原理主義で生きていける世の中ならそれでいい。
ただその宗教の成立時点から世の中はだいぶ変わってしまった。2000年前、1500年前なんて時代から見れば信じられないくらい世界は狭くなってるし、いろいろな地域の多種多様な考え方や習俗が存在するのも僕たちは知っている。
イスラムの人々だって、外の世界、つまり欧米のキリスト教をベースにした社会や、日本のようなほとんど宗教というものを顧みることのない社会があることも知っているだろう。
そんな中での原理主義は、やはりカルトだと僕も思う。
原理主義というものを押し通そうとすればするほど、現実は軋んで歪み、弱い部分に負荷がかかりすぎて悲鳴を上げる。
いわゆる「ふつうの」イスラム教徒は、きっとそういった現実と宗教の間で、迷いながら悩みながら生きているはずだ。
もちろん現実も大事だし、親や先祖から受け継いできた宗教も大切だ。
その間で右往左往しながら生きているのが現代のイスラム教徒なんだろう。それは僕らが仕事や恋愛や日常や、とにかくそういったことの間で右往左往しながら生きているのと全く変わりはない。
そんなことを、上に掲げた写真に考えさせられた。
写真や映像というものはこういったことを伝えるためにあると切実に思う。
世界を脅迫するために映像を利用するなんて間違っている。
イスラーム国により殺害されたジャーナリストの後藤健二さんのことを考えている。
後藤さんの死に関しては本当に残念というひと言に尽きる。
ネットで流れてくる情報を垣間見ると、そこには心ないというか情けないというか、とんでも発言も多々あって、暗澹たる気分にさせられる。
そんなこと言うなよ、と悲しい気分に落ち込みながら、そこには昨今問題になっているヘイトスピーチと結びついた短絡的な思考回路が大いに関係しているようで気持ちが悪い。
この気持ち悪さは過去に経験した覚えがある、とふと思う。
911同時多発テロ直後のアメリカ。
僕はその現場であるニューヨークに住んでいたのだが、アメリカの地方都市で、ムスリムを対象にした集団暴行、いわゆるリンチが頻発した。
極端に多国籍な街として機能しているニューヨークでこそなかったものの、「自由の国」として世界各国を「指導」しようというような国で、このような理解と共感が欠如した超短絡的な事件が、ひとつやふたつではない規模で起こるということが、アメリカ人の本質というか、もっと言えば人間の残酷な本質を覗き見してしまったような気持ち悪さを感じさせてしかたなかった。
こういったことはもうアメリカをはじめどの国のメディアでも報じられることは皆無なはずだが、僕にとっては911の事件自体と同じぐらいの比重で今でも胸の中にしこりとして残っている。
当たり前だが、911を起こしたアル=カイーダとイスラム教は全く別物だ。
そしてイスラーム国とイスラム教もまた別物。
この件に関しては、友人から流れてきたリンクがとても納得のいく説明をしていた。
「イスラーム国とイスラム教の関係は日本におけるオウム真理教と日本仏教の関係と同形である。」
ISISの存在が突きつけるアラブ諸国の深刻な矛盾 | 橘玲 公式サイト当時ほぼ全ての日本仏教がオウム真理教を認めなかったわけだが、原理主義という点で、つまり大元の教義に忠実であるという点では、日本仏教はオウム真理教に勝てなかったのだ。
スナックで酒飲んで妻も娶って、なんてことしてる日本の坊さんはそりゃ仏教の大原理からしてみれば逸脱も甚だしいわけで、しかも周りもみんなそんな環境なもんだから原理原則からとんでもない程度で破戒しているわりには、破戒してるという後ろめたさや自責もない。
ただ少しは日本の坊さん自身も自覚はあるんだろう。だからオウムのようなハードコア仏教を前にして有効な言葉を発せられなかったんじゃないか、とこれはほぼ先のリンクの受け売りだが、僕も全く同感である。
そしてこれがイスラーム国とイスラム教の現在の関係でもある、と。
宗教というものの性質上、よりハードコア(原理主義)であり、よりファナティック(狂信的)である方が信仰の強さという面では優れているように見える。
例えば日本の宗教関係者が集まって、日本の宗教はお互いに対して寛容なんです、といった発言をしている場面にたまに遭遇するが、確かにそれは事実であると考える。
ただそれは当事者たちが胸を張って言うように、日本的に変質した宗教の長所でもあると同時に、日本では宗教が宗教としての力を失ってしまったことの証明でもあると思うのだ。
自分たち身内以外の世の中すべては敵であり、私たちは迫害されている、そう思っている宗教の方が強い(強いというのは過激という意味での強さであって、根源的な強さのことを言ってはいない)と僕には思える。
This is an excerpt of “Thoughs on Rao’s Newsstand” By Motoyuki Shibata
Those who are familiar with the works of …
本文を読むポール・オースターというアメリカ人作家がお好きな方々は、長篇作家オースターが書いたいまのところ唯一の短篇小説「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を思い起こすことだろう。ブルックリンの葉巻店に勤める男が、毎朝同じ時間に、街の同じ角に立ち、写真を撮る。一年に365枚、一日も欠かさずに撮った写真が、アルバムにずらりと並んでいる。「オーギーは時間を撮っているのである。自然の時間、人間の時間、その両方を。世界のちっぽけな一隅にわが身を据え、それをわがものにすべく自分の意志を注ぎ込むことによって。みずから選びとった空間で、見張りに立ちつづけることによって」(オースター『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』新潮文庫 所収)。
石川拓也がやったことも、発想としてはまったく同じ線上に位置している。実際、オースターが石川の仕事から着想を得て「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を書いたとしても、決して驚くにはあたらないだろう(現実には、オースターが「オーギー・レン」を書いたのは1990年なので、これはありえないのだが)。発想が同じというだけでなく、オーギーが世界に対して抱いている敬意と愛情と同種の思いが、石川の写真からもひしひしと伝わってくる。
〜後略〜